何故、金髪、青い目が出来たのだろう? 覚書
僕はなぜなんだろうか、
人類のw、人類の起源に興味がある。
特に、金髪・青い目。
黒人の肌や髪や瞳、黒・濃いブラウン。
アジア人の肌や髪や瞳、黒・濃いブラウン。
暖色系で、ブラウンと黒だよ。
なのに、青い瞳は寒色系。青系だよ。
全然違う色帯じゃないか。
金髪は分かるんだよ、黒、茶、そして、
茶をどんどん脱色すると、ベージュになる。
ベージュがいわゆる金髪。
赤毛だって、茶色って色はもともと赤を含んだ色なんだから、
その赤味が強いと、赤毛になる。
全部ブラウン系のグラデーションだよ。
しかし青い目とは。
どうしてこんなに違うようになっちゃったのかな〜?
なんで、同じ人間なのにこんなに違うんだろう?
そこで、考えてみることにした。
あくまで覚書。どうしたって僕の覚書なんだから、読まれる方がいたらそのようにご認識をw。さらに、いつも「編集途中」w。
じゃやろうか。
1.僕は個人的に疑問に思う。
なんで青い目に、金髪なんて民族が出来たんだろう?
黒人はなんとなくイメージしやすいんだ。
俺たちが日焼けして、真っ黒に真っ黒になると、
黒い髪に、黒い肌、黒い瞳だよ。
それに似てんのかな?
って感じでイメージしやすい。
しかし、
ずっと家の中で日焼けしなくても、
青い目にはならんw。
金髪にもならんw。
股の方は色素が沈着して濃い色が男女とも
付いてる人が殆どだけど、それも直らんw。
「いや、あれはアルピノ遺伝子なんだよ」
・・そうだよな。ウサギだってそうだし。
しかし、アジア人と金髪青い目が結婚して出来る子供は、
全部ダークカラーの髪だと思う。
瞳は、、、例えばタレントのベッキーがグレイの瞳であるように、
かならずしも黒ではないのかもしれないけど、
かなりの優勢遺伝で、アジア人と白人の子はダークカラー系になるでしょ?
黒人と色白東北美人の日本人が結婚して出来る子供は、
かなり黒人に近い形質でしょ?
つまり、白人は交配によって消滅する遺伝上の淘汰型なんですよ。
いやw
淘汰と言っても、日本人だって、黒人と結婚すると
殆ど淘汰されるわけだから、別に人間様としての優劣の問題じゃない。
で、あるのに!
なんであんなに金髪青い目の大民族が出来たんだろう?
黒人という大民族が出来たのは、分かりやすい。
日本の人口の10%の人数の黒人を日本に連れてきて、
日本全体でシャッフル交配すると、
数百年後?は、日本人は黒人みたいな民族に変化しちゃう。
だったら、
黒人という大民族がアフリカで成立するのも普通の成り行きだったろう。
交配すれば必ず出てくる黒人的肌・髪・瞳。
すぐに交配エリアを席捲するわけですよ。
しかし、
交配すれば必敗で、すぐ淘汰されちゃう白人の肌・髪・瞳。
これが何であんなに人数増えたんじゃw
日本人の人口の10%の人数の金髪青い目を日本に連れてきて、
日本全体でシャッフル交配すると、
数百年後?は、日本人の髪や肌の色は変化する?
・・ほとんどしないと思う。
「いやwアジア人だってそうでしょ?アジア人同士で交配して増えたんだよ」
「そうそうwアジア人だって黒人社会の中なら淘汰されちゃうけどさw」
と反論があるとすれば、、、それは、そうじゃない。
それとは別の話です。
もともと、人間はつい最近まで全人類が、
ブラウンの肌・ブラウンの髪・ブラウンの瞳、だけだったんだよ!
サルみたいな人間じゃないよ?
今の人間とおんなじ過去の人だよ。
それが最近の内に白人と黒人と黄色人に変化したんだ。
ブラウンの人が、黒人になるのは、わかりやすい。
日焼けしたんだろーなーw・・
髪の毛はブラウンって言っても黄色人と同じく殆ど黒だったんでそ?w
・・ってイメージする事が可能だ。
しかし、青い目金髪はわからんおw。
アルピノだって言ったって、交配では淘汰されちゃう形質ですよ!
み〜んながブラウンの肌、ブラウンの髪、ブラウンの瞳だったのに、
なんでそこに突然変異で生まれたアルピノの肌・髪・瞳が、
ブラウン社会で増加すんの?
・・・わからんw
どうしてだろう?
2.白人は、人間界のシロクマか?w
シロクマはヒグマから最近生まれた新種らしい。
ヒグマはブラウンの髪・黒い瞳、
そこからマッシロなシロクマが大量に増えた。
これって、白人みたいじゃんかw
しかし、
最近では逆に、野生の世界で、
シロクマとヒグマが生息境界で出会って子供を作っちゃったり。
その子供は、白茶の大まだらだったりもする。
ツートーンカラーだ。
かなり薄い茶色だったり。
人間の場合と違って、
シロクマの白い色は、交配で淘汰されにくい!
だから茶色のクマの社会の中でも、
人間と比べれば
白い色が増えやすいのではないだろうか。
だから突然変異の白いクマが、
茶色のクマの中で数を増やした・・のは
違和感がないような気もする。
2.白人は、なんで最初増加できたんだ?
これがいくら考えてもわけがわからんw
とにかくハッキリしてるのは、
7万年前・・というと、
西暦2000年を35回繰り返しただけの、
地球の歴史、哺乳類の進化の中では、
ほんの昨日の話なんだけども、
その7万年前は、人間は発祥の地・東アフリカのみに生息していて、
全員ブラウン系の肌・瞳・体毛だったことはハッキリしてる。
だから、
黒人は、ブラウン系→黒
黄色人は、ブラウン系→ブラウン系
白人は、ブラウン系→白
というDNAの変化をしたこともハッキリしてる。
要するに、
ブラウン系の体毛、褐色の肌、褐色の瞳だった人間集団が、
いつの間にか、
白い肌、金髪、青い瞳、のDNAに変化したわけですさ。
金髪青い目は本来、交配で無くなって、ブラウン系のままになる筈でしょ?
どうやって、数を増やしたの?
これがまったく分からんw
どう考えても、ミッション・インポシブル。
3.自分なりに考えてみよう?
7万年前より昔、地球は今の大陸の構成に非常に近い陸地の構成を持っていた。その東アフリカの森だけに、サルから進化し、巨大な脳を持つDNAを備え、現在の人間とほぼ同じ姿の、人間の群れがいた。髪と眼はダークカラー、肌は褐色だった。
ちょうど7万年前、東アフリカの森では、人間の群れの、人間の頭数が多くなった。彼らは草や木の実も食べるが、多くは近くの動物を捕獲して肉食をしていたから、頭数が増えると、彼らの行動半径数十キロ内にいる獲物では、食料が不足してきていた。人間は、群れを割って、一部をこの温暖な東アフリカの森を離れて、どこか遠くに移住させなければ、獲物不足は解消できないと考えていた。
そして、群れの中の一部づつ、定期的に、温暖な東アフリカの森から遠い獲物のいる地域へと移住させることにした。
人間の群れの一部として、十分な数のオスとメスの頭数を揃えて、旅立つ。北の方へと旅立っていった。東アフリカの森を旅立った新しい群れは、アフガニスタン・イラクなどの当時はとても寒冷な地域に、新しい大きな群れを作った。雪の国とも言えるアフガニスタン・イラク周辺は、マンモスだとか、鹿だとか、大きな動物の群れが周辺を練り歩いていた。新しい群れは、それを狩りをして、食べて暮らしていた。
すると、また群れの頭数が多くなってきた。人口増加の現象だ。だから、アフガニスタンの大きな群れは、また定期的に、群れを割って、よその地域に移住させることにした。
ヨーロッパ方面は、氷の世界だったので、行けなかったが、アジア方向に移住していった。これが後にアジア人の一部になった。インドあたりから移動して、タイ、ベトナム、フィリピン、中国、日本、と広まった。これがアジア人の一部だ。
しかし、アジア方向に移住した群れと同族の群れは中東付近に残った。
4万年前になると、ヨーロッパ方面の寒さが少しだけ薄らいだ。と言っても氷河期の寒くて、年中太陽が照らない暗黒の氷の世界だったが、鹿などの大型獣がいたので、それを食べたり、飼ったりして暮らすことが出来たから、中東から割れた群れは、ヨーロッパ方面へと移住を始めた。これが今のヨーロッパ人だ。
が、ヨーロッパ方面に移住した人間は驚いた。自分達と非常にそっくりの別の動物がいたからだ。ネアンデルタール人だった。ヨーロッパでは、ネアンデルタール人と抗争をしたりしながらも、人間の人口は増え、ネアンデルタール人の人口は次第に減少してついにはネアンデルタール人は絶滅したので、地球上には人間しかいなくなった。
昼も暗い氷河期のヨーロッパで、人間の肌は代を重ねるごとに白くなっていった。日光不足によるビタミンB不足が原因で、骨が曲がり、骨盤も背骨も歪み、出産も生きていくことも出来ない者が続出していた。なが〜い年月、そんな調子だった。だから、代を追うごとに、自然と、眼の色は浅き青色に、髪の色は黒から茶色にそしてベージュ色(金髪)に、肌は根本的に透けるように白く赤く、変化した。
このヨーロッパ人の群れの一部の集団は、どこをどう通っていったのか、日本の北海道に移住した。これがアイヌ人だ。
その後、寒冷な中東付近で、アジアに旅立った群れと同族の、その頃既に、現在の黄色人種と同じ形質を備えていた人間の群れが、アフガニスタンから、真北のロシア方向へと、氷の世界を北上して移住を始めた。
彼らは長い長い年月を掛けて、モスクワの南あたりの氷の世界まで北上してから、その後、氷のシベリアを東に横断移住して、モンゴルの方へと暫時移動をしていった。彼らはマンモスを追って移住していたのだ。彼らは、中東付近にいたころから既に髪が黒く、眼も黒く、黄色い肌をしていたが、それはもはや変化しなかった。
氷のシベリアをモスクワ南部からモンゴルまで移動した黄色い肌の群れは、そこで分散した。モンゴルに留まった者、モンゴルから中国、日本へと南下した者、シベリア海峡を渡ってアメリカ大陸に移住した者。
これもアジア人・アメリカインディアンの一部だ。
彼らは、中東・西アジアにいた頃の、黄色人種の形質をそのまま持っていた。
かなり最近になると、東アフリカで既に現在の黒色人種と同じ形質を持っていた群れが、どこをどう移動したのか、インドネシアあたりから、オーストラリアへと侵入し、そこで生活をするようになった。これがアボリジニだ。アボリジニ人は、アフリカの黒人と同じ形質をそのまま持っていた。
そして、最も最初の、東アフリカの森に残った褐色の肌、ダークカラーヘア、ダークカラーの眼の群れ。東アフリカがどんどん温暖化していった。これに合わせて、自然と、代を重ねるごとに、肌の色が黒くなっていった。これが黒色人種。
6.ポイント各論。
1.なんでこうも移住せねばならなかったのか
「世界は未だ氷河期、人類は東アフリカの温暖な森に、その楽園を築いていた・・」でも良かった?、ところが果ては太平洋を渡り、アメリカ大陸まで到達して移住した。なんでか。
農耕が始まったのは、ほんのついぞ最近4000年とか5000年とか6000年前。
人の群れが温暖な東アフリカの森から移住を開始したのは7万年前。
当時は食料調達の方法が狩猟だけだった。
狩猟しかない生活では、巨大集落、巨大都市、巨大人口は作れない。
食料不足による子供の致死率の高さもあるがそれは今は別件。
獲物を追って常に移動する生活では、小群落、小村、小家族単位でなければやっていけない。食料が不足するからだ。
農耕の村なら100人の村→200人の村→1000人の村→1万人の国となっても、農地さえ拡大させれば食料不足の問題としては全く平気だが、狩猟となると話は違う。
100人の村が200人の人口へ増えると、もう半分づつ別になって、新しい狩場へと移動していかなくては、食料供給が成り立たない。半径数十キロ範囲の行動範囲に獲物がいなくなってしまうからだ。
日本も縄文時代は、農耕をしていない採集食料調達だったため、人口があまり増加しない。弥生時代になって、稲作を始めてから爆発的に人口が増加した。
ところが、農耕においては1万年前まで氷河期だったという点も重要だ。氷河期では麦も米も作れない。どちらも温暖な気候を必要とするからだ。
2.人口はどの程度だったのか?
麦作稲作が無かったということが理由であろう、
人間の有史が始る直前の段階、数千年前の地球でも、全世界の人口は、今の東京都の人口の3分の1しかいなかった。全地球の人口が、たった400万人。
仙台が90万人、広島が人口120万人。当時は地球全体の人口が400万人。
このわずか400万人が今では7億人に増えたのだから、まさに!「人類はみな兄弟」。ホントに全人類が親戚と言っても過言ではない。東アフリカにしか人間がいなかったころは人口は何人だったのか?、おそらくみな親戚だったのではないだろうか。
もしかすると、数千人?。地球の人口は数千人?、地球の人口が数千人!
3.なんで言語の違いや方言が出来たのか。
地球全体の人口が400万人とは、なんて疎なんだろうか。当時の地球は、ヒト科にとってとほうもなく広かった。行けども行けども、人間の住むエリアにはたどり着かない。
大げさに言えば、7万年前から数万年前ぐらいはもっともっと地球人口が少なかったわけで、もしかしたら、数万人だった時期も?、いや数十万人?。100万人?たったそれだけ!100万人や400万人の地球全人口が、アジア、アメリカ、オーストラリア、ロシア、ヨーロッパ、アフリカ、にバラバラに住んでいる、、、という、SF的状況だった。
農耕が始まったのは中国で15000年前、メソポタミアあたりで9000年前と言われるが、日本では弥生時代からだし、だいたいヨーロッパは10000年前まで氷河期だ。地球に人間が疎であったことは、間違いないし、この頃には既に言語はエリアによって全く違うものだったと思う。
つまり数万年掛けて、別の言語へと言語が変化していったが、それは地球の人口が疎であったことが理由ではないだろうか。
今カナダは英語とフランス語が公用語。フランス語も正式な国の言語なわけだが、カナダでフランス語を話すひとに言わせれば、フランス人が分からない言い回しがあれこれとある、とのこと。つまり、200年で言語が変わってきた訳だ。そういうことではないだろうか。。
"拒食症になる方法"
4.肌や皮膚や眼の色の人種間差は、
自然淘汰・人為的的操作によってできたのか?(プロセス1)
要するに、以下のような話はそれでいいの?、ということだ。
欧州・アフリカにおける褐色肌褐色髪褐色瞳の自然淘汰死滅説だが・・
例えば、こういう話。
とあるヨーロッパの村があって、そこは全員もともとの褐色の皮膚、ダークカラーの毛と眼の村だったが、あるとき突然変異でアルピノが生まれた。白い肌・青い眼、金髪だった。
氷河期の暗黒の氷の世界、ヨーロッパでは、当時、日光不足による骨の湾曲病がしばしば見られた。歩行や出産が出来なくなり、死んでしまう。どれほど暗い世界だったのか。そういう骨が残っている。(そんなに暗い世界なら色も白くなるだろう程だろう、と僕は思うけど) が、そのアルピノの子はそのようなビタミンB不足からの病気にはならなかった。で褐色の肌の娘と結婚した。その子孫もそれぞれ結婚した。
その子孫達の大半は褐色の肌、褐色の眼、褐色の髪だったが、50人、80人と子孫が増えるころには、数名金髪の青い眼白い肌が生まれていた。
その後数十代の歴史の中で、そもそも、自然と村には白い肌・青い眼・金髪の形質を持つ者の比率が増えていった。
一方で、褐色の肌・ダークカラーの眼と毛を持つ者は、寒さ等の環境に耐えられず、長い年月の内に病気で死に絶えた。だからその後は、その村は、殆どの人間が金髪・青い眼・白い肌になった。。。
・・・という話ですが、
僕は、このダークカラー環境弱者自然淘汰説が、
眉唾に思えてしまう。
金髪で青い目の人種の中にも、
ただ髪だけがダークカラー、
ただ目だけがダークカラー、
ただ髪と目だけがダークカラー、で、
肌は白い人達も沢山存在する。
白人だからと言って、
かならずしも目が青いわけでも、
かならずしも髪が金色なわけでもない。
かれらは、同じ環境なら自然淘汰されてしまうのだろうか?
病気になりやすいとか、髪が黒いせいで雪の中の狩りで獲物に逃げられるとか?
あり得ないw
ならば逆にアフリカの黒人ではどうだろう。
皮膚が褐色から黒色に進化する段階で、
黒色になりにくかった者は、自然環境に淘汰され死んでしまったのか?
病気になりやすいとか、髪が茶色なせいで狩りで獲物に逃げられるとか?
あり得ないw
結局、人類は皆、もともとは褐色の肌、褐色の髪、褐色の目、だったならば、
ヨーロッパでもアフリカでも、なぜ、突然変異(金髪碧眼・黒色人種)がその後の大勢を占めたのだろうか。ヨーロッパでもアフリカでも、元来の褐色の肌、褐色の眼、褐色の髪の人間は、自然淘汰で死に耐えたのだろうか。
どうも自然淘汰は無い線に思える。
それは例外はあったろう。しかし全体としては。
例えば人為的淘汰説はどうだろうか。
欧州もアフリカも褐色肌褐色目褐色瞳は、
人為的に繁殖を許されなかった、だから死滅した、という説。
そこで、僕がこんな仮説を立ててみた。
実際に、欧州では人為的に金髪碧眼を増やしたという説もあるというから。
あるとき氷河期のヨーロッパの村に、
金髪・青い眼・白い肌のアルピノの男子が生まれた。
雪の多いこの地方では、白という色自体が宗教的に神聖な色だったので、村人達は神の使いとあがめ、この子が成人すると、村の王とした。
村の王となったアルピノの男子は、今後は村の女性の全てに自分の子を産ませて、青い眼・金髪・白い肌を増やそうとした。
村人の、他の男子に対して、全員に生涯独身を強要することを実行した。
このようにして、その後も数代、数十代に渡って、金髪・青い眼・白い肌でないものは、子を成してはならない、という掟が、白人の形質を持つ王族によって強要された。このため、金髪・青い眼・白い肌の村が、そして民族が出来上がった。
・・・という仮説だ。
このような人為淘汰説は、そんなことで国や村が治まるものか、おおいに疑問が沸く。
王様以外の男は子を成してはならない、なんて、
そんな事例を聞いたことがない。
だいたいすぐに反乱が起きて、その王様は殺されてしまうだろう。
中世欧州の「初夜権」より数倍も非道い。
それに、ここでも、白人の形質は、ダークカラーとの交配によって、消滅しやすいことを考えれば、この説にも疑問が沸く。いかに、金髪碧眼の王様がせっせと、ダークカラーの女性とで子を成したとしても、全員金髪碧眼の民族に成長するまでは、極めて遠い道のりのような気がするからだ。
ヨーロッパの説では、逆の話もある。
男が人為的に余らされたのではなく、
女が人為的に余らされた、という人為説だ。
白い色が神聖な色とされていたので、金髪碧眼の女性がもてはやされ、
ダークカラーの女性は、子供を作らせてもらえなかった。
男が狩りで大量に死んで、男の数が少なかった・・
そこで、金髪碧眼の民族が出来上がった、、、、
・・という人為説だ。
しかし、それもあり得ないと思う。
歴史的に、人類は一夫多妻であって、
異民族の女を数ある妻の一人に加えることは喜んでやっても、
女を余らせる事はない。
髪や目や肌がダークカラーでも、
一夫多妻でどんどん子供を生ませてしまう。
目が見えなくて狩りに行けない男も、
そんなにも人口が少なくなるともなれば、
持てるだけ沢山の妻を同時も持って、
どんどん子供を増やす。
それが過去の歴史だと思う。
だから人為説や自然淘汰説では、
褐色の優勢遺伝の形質がそんな簡単になくなり、
金髪碧眼白色肌だけの民族に変化してしまうわけがないと思う。
ましてやアフリカの黒人。
つい最近まで原始的な暮らしをしてた彼らが、
人為的に、褐色肌褐色髪褐色瞳の人種から、
黒色人種へと変化をしたのだと、思える?
思えない。
4.肌や皮膚や眼の色の人種間差は、なだらかに、
全員に少しづつ起きた変化だったのか?(プロセス2)
日本でも
色白東北美人ということがある。
白い透き通るような肌に赤いほお。
日焼けすれば褐色にはなるが、人生ずっと白かったものだから、
最初は日焼けしにくくて、皮膚が真っ赤に焼けてしまう。。。
そしてすぐ肌に、そばかす、シミが出来てしまう。
なんだw
これじゃコーカソイド(いわゆる白人を意味する言葉)と
同じじゃんw
地球寒冷化で、
白人へと変異した氷河期のヨーロッパのように、
夏でも昼なお暗く寒い、冬は完全に雪の中、、、
ともなったとしたら、
そうでなくても色白の東北県民は、
数百代の内には、もっと色白になるかもしれない。
赤ちゃんの時から、すでに、色白というやつだ。
これはなだらかに、変化が進むことを意味している。
だから褐色の毛の色が、薄い茶色になり、そして、ベージュ(金髪)になった。
さらにもっと長い期間、氷河期で同じ生活をしていたら?
東北美人の毛の色は完全な白になるだろう。
ヒグマからシロクマが生まれたように。
だから、突然変異や淘汰ではなくて、長い年月を掛けて、全体がなだからに変化したと
考えた方が、いろいろと無理がないのではないだろうか。
5.突然変異説について(プロセス3)
wiki金髪へのリンク
1.全体の流れにつき資料を並べてみよう
まずヨーロッパだが。。。
以下抜粋
今からおよそ5億年前、ヨーロッパは一つの大陸ではなく、離ればなれの状態で南極の近くに位置していた。離ればなれの陸地は、地下を流れるマントルに引きずられて少しずつ移動し、やがて衝突した。そうやって何百万年もかけて移動と衝突を繰り返した結果、陸地がつながり、一つの巨大な大陸が誕生したのである。そして、この時の衝突で、カレドニア山脈やウラル山脈が生まれた。
ヨーロッパ大陸はその後も移動を続け、3億年前には赤道付近に達する。赤道付近の暖かく湿った気候のもと、世界最初の森が生まれ、その森は、やがて大陸全体を覆い尽くした。
しかし、その巨大な熱帯雨林は、2億5千万年前にはヨーロッパから姿を消すこととなる。その頃、地球上に存在していた全ての大陸が一つになり、"パンゲア大陸"と呼ばれる、とてつもなく巨大な大陸が誕生した。そのパンゲア大陸の一部となったヨーロッパ大陸は、海から遠く離れ、雨も降らなくなり、熱帯雨林は全て枯れ果ててしまったのである。
何千万年もの間、砂漠と化していたヨーロッパ大陸に劇的な変化が訪れたのは、およそ2億年前。パンゲア大陸が分裂を始め、ヨーロッパに再び海が誕生した。命を吹き返したヨーロッパ大陸。やがて、恐竜による支配が始まる。そんな中、移動を続けていたヨーロッパ大陸は、現在の北アメリカに当たる部分を切り離し、その結果、大西洋が誕生した。
BS朝日_BSデジタル放送5チャンネル 404 NotFound以上抜粋
以下抜粋
およそ6500万年前。ユカタン半島に隕石が衝突し、その影響で恐竜は絶滅した。(注釈・今までは、ティらのザウルスと捨て子ザウルスwの時代だったわけ)6500万年前より、その代わりに地上で繁栄してきたのが、ほ乳類である。
何億年もかけて少しずつ形を作ってきたヨーロッパ大陸。その完成が近づいていた。ヨーロッパ大陸を最終的に完成させたのは、アフリカ大陸による圧迫であった。アフリカ大陸による圧迫で、ピレネー山脈、カルパチア山脈、アルプス山脈が誕生したのである。
550万年前に地中海が誕生し、ヨーロッパの南の境界線が形作られた。これが、ヨーロッパ大陸形成の最終段階。
BS朝日_BSデジタル放送5チャンネル 404 NotFound以上抜粋
以下抜粋
800万年前、人類の祖先は、森で暮らしていたサルだった。しかし乾燥が進み、森が草原になると、サルは二本の足で立って歩き始め、最初の人類、猿人になった。350万年前のアフリカで暮らしていたアファール猿人は、二本の足で直立歩行をすること以外は、ほとんどサルと変わらなかった。しかし直立歩行によって彼らはエネルギーを節約することができ、そのエネルギーを繁殖と子育てに向け、子孫を残しやすくなった。そして"手"が自由になったことで、人類は無限の可能性を持つことになった。そこに人類の繁栄の秘密がある。
BS朝日_BSデジタル放送5チャンネル 404 NotFound以上抜粋
以下抜粋
人類発祥の地は東アフリカだとされ、400万年前にはすでに初期の人類が現れていたと考えられている。その後も人類は進化を続け、私たちは枝分かれした人類の中で最も新しい種ホモ・サピエンス(現生人類)と呼ばれる。
BS朝日_BSデジタル放送5チャンネル 404 NotFound以上抜粋
以下抜粋
南アフリカのタウングから出土した、奇妙な生物の頭蓋骨の化石。解剖学の権威であったレイモンド・ダートは、この化石が人類の祖先の骨であることを発見する。ダートはこの生物を、アウストラロピテクス・アフリカヌス、アフリカヌス猿人と名づけた。
後に、猿人には2つの種が存在していたことが判明する。小柄な体つきの「きゃしゃな猿人」と、がっちりしたアゴを備えた「頑丈な猿人」である。およそ300万年前、気候の変化により豊潤な森が消滅したアフリカで、「頑丈な猿人」は植物の根を食べて命を繋いだ。しかし、その一方で「きゃしゃな猿人」は、いち早く石器を発明し、肉食を開始した。「きゃしゃな猿人」と「頑丈な猿人」の頭蓋骨の形から、我々人間の脳は、「きゃしゃな猿人」から進化したものであることが判明する。つまり、過酷な生存競争に勝ち残り、我々の祖先となったのは「きゃしゃな猿人」だったのだ。
「きゃしゃな猿人」は、石に細工して動物の骨を砕き、骨髄や大脳を取り出して食べていた。肉食を始めたことで、栄養価の高い食事がとれるようになり、結果として、それが猿人の大脳の発達を促したものと考えられる。道具の発明、食生活の変化、大脳の発達、この3つの要素が効果的に作用し合い、さらなる進化への土壌が整えられたのである。
BS朝日_BSデジタル放送5チャンネル 404 NotFound以上抜粋
以下抜粋
70年代、ケニアで類人猿の頭蓋骨が発見された。この「14/70」(博物館の分類番号)は脳がきわめて大きかったため、人類祖先の象徴的存在と見なされた。同じ頃、300万年前の類人猿の骨がほぼ完全な状態で発見された。この「ルーシー」は14/70よりも古い320万年前の年代のものとされ、二足歩行をしていたとわかった。二足歩行のルーシーは人類の祖先であるはずだが、脳の大きさは現代人の3分の1から4分の1しかない。人類の進化が脳から始まったとすれば、祖先は大きな脳でなければならないが、14/70はルーシーより100万年以上新しく、年代が合わない。
大きな脳の仮説は覆され、人類進化における最初の鍵は二足歩行だったことが明らかになった。道具の使用が食物を手に入れる方法を広げ、よりよい食生活は脳を成長させた。脳の発達は文化とコミュニケーションを豊かにし、複雑な社会といっそう進歩した文化を生んだ。その結果、脳はさらに大きく成長していったと考えられる。
生物はさまざまな環境に適応する過程で、一つの起源から二つ以上の種に分化していく。それが、適応放散である。しかし、化石を調べるかぎり、ルーシーは適応放散なく進化したように思われた。
ところが2001年、かつてケニアで発見された類人猿の頭蓋骨から新事実が判明した。顔の骨格がルーシーとは違って現代人に近いのだ。この発見により、人類もほかの生物と同様の進化を遂げたことが明らかになった。
BS朝日_BSデジタル放送5チャンネル 404 NotFound以上抜粋
以下抜粋
乾燥が更に進んだ200万年前のアフリカでは、さまざまな人類が共存していた。乾燥した草原の硬い草を食料とするパラントロプス・ボイジイ。道具を作り、頭を使って考えることにより、食料を確保する肉食のホモ・ハビリス。ハビリスより大柄のホモ・ルドルフェンシス。しかし、その頃新たに登場したホモ・エルガステルが、彼らにとって代わることになる。
BS朝日_BSデジタル放送5チャンネル 404 NotFound以上抜粋
一方、今のヨーロッパは。。。
以下抜粋
およそ200万年前、ヨーロッパを氷河期が襲った。太陽を回る地球の軌道が変化し、太陽からの距離が遠くなったため、地球が受ける太陽の光の量が減ってしまったのである。その結果、気温は急激に下がり、巨大な氷河がヨーロッパ大陸を覆い尽くした。この氷河期は、その後、ヨーロッパの地形を大きく作り替えることとなる。そして氷河期は、地形だけではなく、ヨーロッパに住む様々な生き物たちにも大きな影響を与えた。
CMN証明書を取得する方法
氷河期、海水が氷河の中に取り込まれて凍ったため、海面は現在より100メートル以上も低く、当時は北海もベーリング海峡も陸地だったと考えられている。北海でマンモスの骨が見つかったことから、北海がかつて陸地だったことが明らかとなった。
BS朝日_BSデジタル放送5チャンネル 404 NotFound以上抜粋
また東アフリカにもどるが。。。
以下抜粋
今から150万年前のアフリカでは、ホモ・エルガステルという大きな脳を持つ人類が栄えるようになった。思考能力を手に入れた彼らは、人類発祥の地アフリカを離れ、世界へと旅立っていき、ホモ・エレクトスと呼ばれるようになる。
その後100万年もの間、人類はほとんど進化しなかったが、火を使いこなすことができるようになって、再び進化が加速。ハイデルベルク人が誕生する。
北のハイデルベルク人は、ネアンデルタール人へと進化し、持ち前の強靱さで氷河時代を生き抜いていく。しかし彼らには人類が進化するための決定的な要因が欠けていた。決定的な要因とは、想像力である。想像力のなかったネアンデルタール人は、やがて絶滅した。南のハイデルベルク人も、干ばつのために絶滅の危機にさらされる。しかし、想像力を獲得し、高度な生き残り戦略をとった一部の者が、現在の人類へと進化し、生き延びることができた。地球上の人類はすべて、彼らの子孫である。
BS朝日_BSデジタル放送5チャンネル 404 NotFound以上抜粋
以下抜粋
1891年、ジャワ島でオランダの人類学者ユージン・デュボアが成し遂げた大発見。それはヒトに似た脚の骨と、サルのような小さな頭蓋骨だった。デュボアはこの化石人骨をピテカントロプス・エレクトス(直立原人)と名づけた。
しかし、当時の学界はこの発見がヒトの起源を表すとは認めなかった。もしこの化石人骨が本当にヒトの起源なら、発達した脳を持っているはず、すなわち頭蓋骨はもっと大きかったはずだというのだ。
この発見からほぼ100年後の1980年代、ケニアで、古生物学者リチャード・リーキーと化石発掘者のカモヤ・キメウが、およそ150万年前のホモエレクトスの化石人骨を発掘することに成功。発見場所である湖の名にちなんで「ナリオコトメ・ボーイ」と名づけられたこの化石人骨は、ヒトに近い特徴を備え、身長が高くがっしりした体格をしていたと思われた。
しかし古生物学者のアラン・ウォーカーが骨を研究するうちに大きな疑問が持ち上がる。「ナリオコトメ・ボーイ」はヒトと似てはいるものの、言語能力に欠けていたと思われるのだ。その言語能力こそ、類人猿とヒトが一線を画する大切な能力だ。
この骨の持ち主はヒトに近い存在だったのだろうか、それとも外見がヒトに似ていただけなのだろうか。まだ明確な答えは出ていない…。
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200万年以上の間、ホモ・エレクタスはアフリカとアジアで生息していた。彼らは熱帯にはうまく適応したものの、ヨーロッパへと北上することはなかった。
しかし人類は突然、意を決し、その過酷な環境に進出する。イタリア、英国、スペイン、ドイツにおける一連の発見を元に、科学者はそれがいかにして行われたのかを解き明かそうとしてきた。
1994年、イタリア南部のアルタムラ近郊で、地下の洞穴から化石人類の骨格が発見された。エリジオ・ヴァッカ博士とレスリー・アイエロ教授によれば、この「アルタムラ人」はホモ・エレクタスではなく、現在の我々と同じサイズの脳を持った初めての種だという。
熱帯に適応したハイデルベルク人が、ヨーロッパの凍てつく冬の気候と、たび重なる氷河期を生き抜くのは、容易なことではなかった。彼らはホモ・エレクタスに比べ、死肉をあさる能力がより優れていたのだろうと科学者は見ている。巧みに大型の肉食獣の後を追い、その食べ残しを平らげたのである。
しかし遺跡や化石化した骨からは、別の結論を導くこともできる。ハイデルベルク人は自ら獲物を狩るだけの知性と技術を持っていたというのである。もしそれが本当なら、人類進化の大きな節目を25万年前に置かなければならない。ハイデルベルク人がヨーロッパで生き抜くには、彼ら以前の化石人類には見られなかった、ある種の社会的結束が不可欠だった。そのことから、人類に愛という複雑な感情が生まれたのは、この時期、この場所だったと見る科学者もいる。
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今までに発見されているホモ・サピエンス中ではもっとも古い19万5千年前の頭蓋骨の化石がエチオピア南部を流れるオモ川流域から発見されている。
人類と他の動物を区別するもの、それは芸術・音楽・言語・宗教・計画をする能力・恋愛をする能力などだ。オモ川から5千キロ南、南アフリカのピナクルポイントには、16万5千年前のものと思われる居住跡がある。そこからは、石器や狩猟の道具、海貝の貝殻などが発見されている。貝を食料にしていたということは、潮の満ち引き等を予測するなどの証拠でもあり、人類の特徴である「計画性」がうかがえる。
最近は遺伝子解析の技術が進み、人類の進化をさかのぼることが可能になってきた。その結果、現生人類は全員、10万年以上前にアフリカに住んでいた"1人の女性の子孫"であることが分かっている。
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アフリカの洞窟で出土した頭蓋骨の化石は、人類の祖先はネアンデルタール人であるというそれまでの常識を覆すものであった。裏づけとなる分析が続き、現生人類の祖先は10万年前アフリカが起源であることが明らかになってくる。彼らは道具で魚を釣り、火を焚いて調理し、自らを装飾するなど創造的行為を行う近代人であった。ではなぜ、彼らはアフリカを離れ、長い年月をかけて世界の隅々にまでたどり着く旅に出たのか。何が彼らをそうさせたのだろうか…?
現生人類、ホモ・サピエンスはいつ、どこで生まれたのだろうか? 以前は、人類の起源は4万年前のヨーロッパもしくはアジアという「多地域進化説」が優勢で、もう一つの説、10万年前にアフリカに出現した人類が他の原人を駆逐しながら世界に広がったという「出アフリカ説」を唱えるものは少なかった。
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では、アフリカで生まれた現生人類はどうやってアフリカを出て、世界中へ広まっていったのだろうか。アフリカは三方を海で囲まれた大陸であり、おそらく私たちの子孫は唯一の陸路、北部のサハラ砂漠地帯を抜け、アラビア半島へ向かって脱出したと思われる。
「気候モデリング」を使って、その脱出ルートを探したところ、私たちの祖先は約7万年前に、アフリカ大陸とアラビア半島が最も接近する場所、紅海の「嘆きの門」と呼ばれる場所を通ってアラビア半島へ抜け出たらしい。そしてここから人類は世界中へと散らばっていった
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人類はおよそ7万年前にアフリカを出て、世界中に広まったと言われている。ではアジアに広がる人類の足跡をたどる。
最初に訪れたのは極寒のシベリア。ここに住む遊牧民のエべンキ族は、最初にシベリアに渡った人類の子孫で、彼らの顔には中国など東アジアの人々とよく似た特徴が見られます。彼らはなぜこの地に足を踏み入れ、どのようにして生き抜いてきたのだろうか。
シベリア全土に残る火の痕跡をたどることで初期の人類が野生動物を追って北上しついには北極海にまで到達していたことが分かっている。また、世界最古と見られる骨でできた"針"がシベリアで見つかっている。これは、人類史上最も重要な道具の一つでありエべンキ族が毛皮での防寒を可能にした最大の発明であろう。
しかし、考古学的調査によれば、人類は氷河期の到来とともに南下し、さらに中央アジアへといたったことが分かっている。
またこのころ、彼らの外見にも変化が出てきた。東アジアの人々の顔の特徴として低い鼻や平面的な骨格、皮下脂肪の多いまぶたなどであり、その変化の原因は氷河期の寒さにあるという。
しかし、中国人の多くはこの顔の特徴はルーツの違いからくるものと考えており、自分たちがアフリカ起源ではなく、別の種、ホモ・エレクトス(北京原人)の子孫であると信じる人が多い。
中国の専門家の多くが、ホモ・エレクトスは絶滅したのではなく現在の中国人の祖先となったと考えている。しかし、西洋人の科学者の多くは違う意見で、現代の中国人の頭がい骨はアフリカ人やヨーロッパ人のものとほぼ同じでホモ・エレクトスとは似ていないと言う。そして遺伝子解析の結果でも、中国人もアフリカ起源であることが裏付けられている。
最後は、中国文明発祥の秘密。桂林の遺跡からは世界最古の陶器の破片が出土した。陶器の出現は米の調理が可能になったことを意味する。偉大な文明の基礎は、稲作技術の開発、そして新たな農耕・定住型の生活様式によってもたらされたのだった。
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人類はおよそ7万年前にアフリカを出て、世界中に広まったと言われている。最初に紹介されるのはヨーロッパの東端に位置するルーマニア。ルーマニア某所の地下遺跡は「骨の洞窟」と呼ばれ、非常に重要であるため正確な位置は公表されていない。ここから発見された骨片をつなぎ合わせると、4万年前のものと判明した。これは、初期の現生人類のものでヨーロッパ人のものとしては最古の頭がい骨である。彼はいったいどうやってルーマニアに来たのか。
およそ7万年前、私たちの祖先はアフリカを出てアラビア半島へ渡った。それから数千年後、短期間ではあるが、地球の気温と湿度が上がった時期があった。砂漠が緑化したその時期に、人類は中東を抜け、ヨーロッパへ到達したと考えられる。私たちは、法医学アーティストの力を借りて、4万年前の頭がい骨がどんな顔立ちだったのかを復元してもらった。その顔の特徴は、現存している人種のどのグループとも一致しないが、黒人にも南東アジア人にも白人にも発展していく可能性を備えていた。しかし、彼らが進んで行った北の寒い地方には、すでに先客がいた。ネアンデルタール人である。
私たちの祖先は、ネアンデルタール人を相手に、どうやって生き抜いたのだろうか。その答えを示すのは、3万5千年前のものと思われるフルートを初めとする楽器や芸術品だ。広い範囲に渡り、私たちの祖先の居住跡からは、同じ芸術品が出土している。それは私たちの祖先が「仲間」「同志」として交流し合い、助けあっていた証拠だ。ネアンデルタール人の居住跡からはそのような痕跡は見られない。この社会的なネットワークが、私たち祖先に勝利をもたらしたのかもしれない。しかし、最終的にネアンデルタール人を駆逐したものは気候であると考えられる。寒さや干ばつに見舞われたとき、他の集団と連帯のない集団は弱いからだ。
2万年前には、すでにヨーロッパには私たちの祖先しかいなくなっていた。10万年以上もの間、放浪していた私たちの祖先の外見は黒い肌が白く変化した。そして、組織化が進んだ社会は、新たな変化を生み出す。ヨーロッパ文明の誕生の基礎が築かれていったのである。
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我々現生人類(新人)の祖先たちは、アフリカで生まれ、やがて北上を始めた。彼らの一部はヨーロッパにたどり着き、次第に繁栄していった。しかし先住のネアンデルタール人(旧人)は衰退の一途をたどり、絶滅したと言われている。
ネアンデルタール人から現生人類への移行のいきさつは謎に包まれており、人類史最大のミッシング・リンクである。頑健な肉体を持っていたネアンデルタール人はなぜ、そしてどこへ消えていったのだろうか? 現生人類はなぜ生き残ったのか? また、両者をつなぐものは何だったのだろうか・・・?
近年、この謎に迫る画期的な発見があった。ポルトガルで幼児の化石が発見され、その骨にネアンデルタール人と現生人類、双方の特徴が見られたのである。このことは、現生人類がネアンデルタール人を淘汰(とうた)した、という従来の理論に一石を投じ、両者の間に交配があったことを示唆した。
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およそ4万年前、厳しい氷河期が続く中、人類の祖先であるクロマニヨン人は、アフリカからヨーロッパへ向けて旅を始めた。その頃、ヨーロッパ大陸ではネアンデルタール人が生き延びていたが、ネアンデルタール人は、およそ3万年前に絶滅してしまう。一方、クロマニヨン人はヨーロッパの環境にうまく適応し、繁栄していく。
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人類はおよそ7万年前にアフリカを出て、世界中に広まったと言われている。では、謎に包まれたオーストラリア人のルーツに迫る。
最初の舞台はオーストラリアのマンゴ国立公園。ここから、右足だけの480個の足跡と"マンゴ人"の化石が発見された。測定の結果、足跡は1万9千年前から2万3千年前のもの、マンゴ人の化石は4万年前と判明した。一説には6万年前とも言われた。これは、マンゴ人が7万年前にアフリカを旅立った人類とは一線を画す可能性を秘めていた。オーストラリアの先住民族アボリジニは、7万年前にアフリカ大陸から移動してきたのか、それとも、さらに昔の人類の祖先から枝分かれしたのだろうか。
この謎を解く鍵を握るのは化石ではなく、現代に生きる人々であった。アボリジニのDNAがアフリカに起源を持つことを示す結果が出たのだ。
では、アフリカを出た人類はどうやってオーストラリアにたどりついたのだろうか。さらに、彼らのルーツを探るべく、舞台はアジア全土へと移る。
最新の説では、人類はインド洋沿岸を東へ移動したという。インドでは7万4千年前のトバ山の大噴火を生き抜いた証拠となる化石が発見された。また、何万年も前からごく最近まで、外部との接触を持たず暮らしてきたマレーシア北部に暮らすセマン族のルーツはアフリカであることもわかった。
そして、ボルネオのニア洞窟でも、4万5千年前にすでに狩りをする集団がいた跡が確認されている。しかし、その先には行く手を阻む謎の人類ホビットが存在した可能性があり、さらには広大な海が横たわっていた。もしかしたらホビットを避けるようにして、彼らはオーストラリアへ向かったのかもしれない。
子供たちはhospitilisationどのように反応するか
人類が海を越えた方法については、陸地同士の距離が縮まった6万年前の氷河期が1つの鍵を握る。なんとオーストラリア北部のアーネムランドでは、人類の旅を裏付ける証拠となる6万年前の石器が発見されているのである。そして、アーネムランドに暮らすアボリジニの神話によると、彼らの創造主は海を越えて来たという。
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人類はおよそ7万年前にアフリカを出て、世界中に広まったと言われている。アフリカを出発し、アジア、ヨーロッパ、オーストラリアへと広まってきた現生人類。しかし、アメリカ大陸は最後まで無人の地であり続けた。その理由は3つ、東の大西洋、西の太平洋、北の氷、である。特に北のカナダとアラスカは、厚さ数キロの氷で覆われていた。私たちの祖先がここを踏破したとは考えにくい。
しかし、彼らがアメリカ大陸に到達したことは紛れもない事実である。ではどうやってアメリカ大陸にたどりついたのか。
カナダのカルガリのネイティブ・アメリカン、ツウ・ティナ族は、アメリカに最初にたどりついた人々の子孫である。人類がアメリカへ来たのは1万3千年より前の1万4千年前だったらしい。しかし、1万4千年前はまだ、氷床の回廊が開けていなかったはずだ。
その他にも、科学者たちの中には、すい星が北部アメリカ上空で爆発、破片が大陸に降り注ぎ、植物を焼きつくしたせいで、マンモス等の動物が食糧難に陥り絶滅したのであって、人類が狩り尽くしたせいではないと考える者もいる。また、人類が北部アメリカの氷床を踏破できたはずがないと考える者もいる。となれば、いったい人類はいつ、どのルートをたどってアメリカ大陸に到着し、南北アメリカ各地に広がっていったのであろうか。どうやって北部の氷床地帯を越えて来たのかがいまだに謎だ。
その謎を解くため、法医学者の力を借り、当時の地層に含まれる花粉を調べる。その結果、カナダの西海岸の海底部から、湿地帯でよく見られるスガ等の植物の花粉が発見された。年代測定の結果、それらの花粉は1万7千年前、最後の氷河期のものだった。ということは、内陸部は氷床に覆われていても、海岸部には豊かな植生があったものと考えられ、人類が食物を得るのも可能だったと思われる。つまり、「人類はシベリアから陸伝いにアラスカへ入り、海岸地帯に沿って南下したのではないか」と言うのが最新の学説となっている。
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そして、今からおよそ1万年前、再び地球の軌道が変化し、長く続いた氷河期は終わりを告げた。100年足らずの間に気温は10度も上昇し、氷河は一気に溶け始める。何万年分もの雪解け水でヨーロッパ大陸の川は勢いを増し、川の氾濫によって多くの湖が生まれた。ロシアにあるヨーロッパ最大の湖、ラドガ湖もその一つである。また、溶けだした氷河が自らの重みで滑るようにして移動し、進みながら周りの岩や地面を削って、アルプスの深い渓谷やノルウェーのフィヨルドを作った。フィヨルドとは、氷河が地面を削って出来た深い谷が、氷が溶けて海面が上がったことで水没し、形成された入り江である。
大陸中を覆っていた氷河が溶けたことで海面の水位は100メートル以上も上昇し、新たな海岸線が生まれた。これによって、ヨーロッパ大陸の輪郭が、現在とほぼ同じになったのである。ヨーロッパの気候は暖かく穏やかになり、大陸は再び森で覆われ、生命に満ち溢れた。氷河期の到来と終結が、ヨーロッパ大陸の地形と生態系を大きく変えたのである。
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約1万年前に氷期が終わり、気候が温暖になると、人類はますますその数を増やし、全世界で人口400万に達したといわれる。激増した人間による活発な狩猟活動は、ただでさえ環境の激変に脅かされていた動物たちにとって大打撃となった。まず、マンモスをはじめとする大型の草食獣が姿を消した。草食獣がいなくなると、それをえさとしていたサーベルタイガーのような肉食獣も滅びた。 とくに、アメリカ大陸ではすさまじい絶滅が人間の手によってひきおこされた。マンモスやマストドンなど大型のゾウをはじめとして、ウマ、ラクダ、バクなどが狩りつくされた。北アメリカでは大型動物の73%が、南アメリカでは実に80%が絶滅した。オーストラリアでも、狩猟により大型動物の86%が消えたといわれて� �る。
地球人の歴史 2.大自然への挑戦以上抜粋
2.人間の先祖は東アフリカの
ただ一人の女性に遡る?
説の資料の内容を列挙してみよう
人間の細胞とは、たまごをイメージすると、真ん中に黄身のような玉がある。
これが細胞核。この中に全てのDNAが収められていて、必要に応じて、ここからコピーをして必要なものを随時生産する。ところが一方、白身の中の方には、ゴマのようにポツポツとあるミトコンドリアという小さな小さなフットボールのようなものがちりばめられてる。このフットボールが細胞に対してエネルギーボールを放出して、細胞を維持している。このフットボールの名前がミトコンドリア。白身の方にあるものだ。近年、DNAが全部納められている黄身のような細胞核でもなく、その外にあるミトコンドリアの中にもDNAが含まれていることが分かった。
このミトコンドリアの中のDNAは、何故か母方のDNAが全面採用される。父親のDNAは遺伝しない。なぜか?と言うと答えは簡単。精子は子宮の中をミトコンドリアが放出するエネルギーで鞭毛を動かしてせっせと泳ぎ、競争する。精子の中のミトコンドリアの中のDNAは当然父親のDNAである。ところが、精子が卵子に突入すると、卵子は精子の細胞核(黄身)だけを抜き取って、白身の部分(精子の鞭毛も含めて)は死体のように捨ててしまうから、このとき精子のミトコンドリアも捨てられてしまうからだ。卵子は、自分の白身の中に、精子の黄身だけを抜き取って喰って、自分の黄身とで合体処理をする。だから生まれる子供の細胞。その白身の部分とは母親の白身からしか出来ていない。だから、白身の中に含まれるミトコンドリア、� ��の中に格納されているDNAも例外なく母親のもの・・・こんなイメージだ。
ということは・・子供のミトコンドリアの中のDNAを見ると、必ず母親のミトコンドリアの中のDNAと同じ。なので、子供の母親は誰で、その母親の母親は誰で、そのさらに母親は誰で、・・・おばあちゃんのおばあちゃんのおばあちゃんのおばあちゃんのおばあちゃんは誰なのか、DNAを照合すればずっと遡って調べることが出来るわけだ。
しかし、お母さんが男の子しか生まない場合がある。「オレ、男兄弟だからぁ・・」なんていう場合だ。この場合、このお母さんのミトコンドリアDNAは、この息子の人生を最後に地球上から絶滅する。息子が女の子に子供を生ませても、子供にはその女の子のミトコンドリアのDNAしか遺伝されない。
つまり、10人の女性がいて、10人とも結婚して5人づつ子供を生んだとすると、10人のお母さんに50人の子供がいることになり、それぞれのお母さんのミトコンドリアDNAは5人づつが持っていることになるけど、10人のお母さんの内4人は、5人の子が全員男子だった。こうなると、この4人のお母さんのミトコンドリアDNAは、もう絶対的に地球上から絶滅する。50人の子供達が、この50人の中同士で結婚すると、30家庭が出来る。男子が20人しかいないから、10人の女性はオメカケさんになるがw。でも立派に子供は生む。近親相姦になってしまう分は他の村と男子をトレードして回避するとするw。アフリカではそんな嫁トレード性を採用するエリアもあるw・・・30家庭がそれぞれ5人の子供を生むとす� ��と、3世代目は150人の子供が生まれる。
1世代目は10人の女性(10家庭)(10種類のミトコンドリアDNA)
2世代目は50人の子供(30家庭)(10種類のミトコンドリアDNA<流通ベースではw>)
3世代目は150人の子供(6種類のミトコンドリアDNA)
要は、何億人ベースもの自由恋愛・国際結婚自由のシャッフルのマス量であっても、同じように時間の経過と共に、社会ベースで女性のミトコンドリアDNAは淘汰されて種類はどんどん減少するのだお。
最後には・・・全人類のミトコンドリアDNAは1種類になり、それは何十万年か前の東アフリカの女性のミトコンドリアかもしれない訳です。つまり、おばあちゃんのおばあちゃん・・で辿っていけば、全人類は一人の女性の子孫ということが、シャッフルと淘汰によって分かるわけです。
この全人類の先祖である女性をミトコンドリア・イブという。
地球上で最も難しい宝くじ当選の一つかもしれない。
地球の歴史の中で、ただひとりDNAを残せた女性。
地球上の全ての人間の血縁者(先祖)。
ただ、このDNAの淘汰・絶滅は、通常の死亡や不妊もあるけれど、男子しか産まないことによって発生するから、理由なく絶滅し、理由なく勝ち残る。最終的にゆいいつ残ったDNAが古い時点のものとも新しい時点のものとも関係ないし、DNAの優劣も関係ない。
つまり、唯一絶対の女性のDNAとは、人間が人間になる前の原人だったり、サルだったりした頃のメスかもしれないし、または逆に、何百万年か遡って、比較的最近の人間の女性のものかもしれないわけです。ただ、時間が経過していないと、増殖結果数は大きくならないから、例えば100年前の女性のDNAの場合は、そのDNAを持つ子供の数も少ない。少ししか増殖する時間がなかったため。なので、総数不足により絶滅しやすい理論になるねぇ。
少しこちらのブログを見てみて欲しい。
もるとゆらじお:日本人のルーツ
このブログが抹消されると、僕のこのブログもイミ不明なので、
抜き書きしてみよう。あくまで消去対応なので、リンク先の方もちゃんと見てあげてね?
(以下抜粋)
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我々の共通祖先を母系からたどると
15万年ほど前に生きていたアフリカの女性に行きつく。
我々というのは現在生きている世界のすべての人間のことだ。
この人類の母をミトコンドリア・イブと呼ぶ。
母系にのみ受け継がれるミトコンドリアDNAから
突き止められた結果だからだ。
このイブの娘たちから発生したある集団が
アフリカを脱出してヨーロッパに渡った。
ヨーロッパ人の95%が七人の母から生まれている。
ミトコンドリアDNAを研究して「イブの七人の娘たち」を
著したブライアン・サイクスによると
日本人には九人の母がいる。
研究が進んだいまでは日本人の母も十六人に細分化されたが
そんなにいると説明がややこしいので
九人ということで話をすすめたい。
九人の母
D:この母はバイカル湖の西で6万年前に誕生。アジア最古の集団。
日本人の34%がこれに属す。寒冷適応型。
皮膚や瞼が厚く、目が細く、小太り、胴長。
ネイティブアメリカンもこのタイプ。インカ帝国を築く。
M7:東中国で4万年前に誕生。日本の縄文人のルーツになる。
日本人の15%がこれに属す。南方適応型。
丸みを帯びた小柄な体型。丸く低い鼻。
B:南中国で6万年前に誕生。
陸路で南アメリカへ渡り、海路で日本やオセアニア、
環太平洋に広く分布。日本人の15%が属す。
G:東シベリアで3万年前に誕生。日本人の7.5%.
そこから南下し中国、朝鮮半島、中央アジアに分布。
北海道先住民の先祖だと思われる。
A:バイカル湖畔で2~3万年前に誕生。日本人の6%。
東アジアに達し、ベーリング海を渡った。寒冷適応型。
ネイティブアメリカンの先祖。インカの先住民。
F:北ベトナム、ラオス、中国国境付近で4〜5万年前に誕生。
痩せた体型。日本人の5%。朝鮮半島を経由して日本へ。
東南アジア最大のグループだが、中央アジアにもいる。
M9:ヒマラヤの山岳地帯で4万年前に誕生。
中央アジア、東アジアに分布。日本人の3.4%。
M8:北東アジアで3~4万年前に誕生。
シベリアからベーリング海を渡り、北米から南米まで
長距離を移動したグループ。西は北欧にまで達している。
日本人の3.2%。
N9:東中国で2~3万年前に誕生。日本人の7%。
縄文以降の新しい時代にやってきた、いわゆる「渡来人」
ブライアン・サイクスの著書にも載っている
上の図の女性たちの名前のうち
アースラ、ジニア、ヘレナ、ヴェルダ、タラ、
カトリン、ジャスミンがヨーロッパの七人の母。
エミコ、ユミ、ネネ、チエ、アイ、サチ、
フフェ、ガイヤ、イナが日本人の九人の母。
この分類だと全世界には三十五人の母がいるが
ヨーロッパの七人に較べて、狭い日本で九人の母は多い。
「人種のるつぼ」はまさしく日本だったのだな。
自分のミトコンドリアを調べたい人は
こちらで調べてくれます。英語ですみません(さ)
Oxford Ancestors Ltd - Home
(以上抜粋)
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つまり一説によると、今の時点で世界何十億人のでも35人の女性の遺伝子しか残っていないことになる。
結論は、「黄色人種も白色人種も黒色人種もみな同じ単一の"ご先祖"から生まれた」ということになるだけで、他に特筆する結論は無い。「おおむかし、ただ一人の女性から全ての人類の元が生まれたのだ!!」ということとは全く関係がない。シャッフル交配の結果勝ち残った女性DNAが全人類でただ一人というだけ。シャッフル交配の結果勝ち残ったDNAをそもそも持っていた女性と全人類が血縁関係があることは確かだが、それ以上のものは何もない。
そもそも人間(ホモ・サピエンス)が発生したときの、ホモ・サピエンスの最初の群れの総人数とは、非常に少いものだったのでなかっただろうか。こうなると・・まさに「人類はみな兄弟」w。
ミトコンドリアが女性のみ遺伝というシステムはサルでも同じなのかどうか?も気になるところ。今度よほど時間があれば調べてみたい。
では流れをマトメてみよう
要するに、2億数千万年前に全部の大陸がひとつになってパンゲア大陸だったころ、恐竜が生まれて、んで、6500万年前に隕石が落ちて、恐竜が絶滅した。
恐竜の後期には、パンゲア大陸は分裂して今の形に大分近い感じになっていたから、各大陸に分割された恐竜も、気候や環境が大陸によって異なることから、様々な種類に分化し、巨大化する恐竜は巨大化を各大陸で極めた。
絶滅前には、毛が全身に生えた恐竜や、羽毛を持った恐竜もいたし、現在の鳥も恐竜から進化して、既に恐竜の居る空でピーチクパーチクやっていた。
恐竜が絶滅する6500万年前よりずっと以前から哺乳類は、恐竜と共に地球にいた。しかし、なんと、2億数千万年前から6500万年前という天文学的年月の間、哺乳類はネズミ以上の進化が出来なかった。
なんでだろうか?
トカゲ程度の恐竜が、巨大なティラノサウルスになり、海にも湖にも巨大な恐竜がヒシメキ、翼竜が飛び、そのうちには恐竜に毛が生えた。羽毛が生えた種類は鳥へと進化した。その間、ずっと哺乳類は今のネズミより小さいネズミのままだったのだ。
それは簡単。
哺乳類は単なる恐竜の餌だったからだ。ウサギぐらいの大きさともなれば、すぐ絶滅するまで食い尽くされてしまったからだ。今あなたの家の庭にも虫がいるだろうし、トカゲもいるだろう。でも今の人間社会の環境が1億年続いたら、トカゲはティラノサウルスへと巨大化するだろうか?いやしない。人間に根こそぎ殺されちまうから。これと同じ理由で、哺乳類が原始的な小さいネズミから進化することはなかった。いかに、恐竜類が根こそぎ哺乳類を食っていたかが知れる。
哺乳類は餌として、小さいネズミとして、夜行性行動により、現在のゴキブリのように進化せず、餌として生きていた。
6500万円前、隕石が落ちて地球全体が火事になったが、その後急激な寒冷現象が地球上を覆い尽くした。地球上が雪の星になったので、卵を産み捨てる爬虫類の恐竜は、海中に至るまで1匹残らず絶滅した。例えばワニを除いて。
恐竜に食われ続けた哺乳類は、子宮で子供を卵からかえしたり、恒温体温というシステムを持っていたため、雪の世界でも絶滅しなかったし、卵を温めてかえす鳥も絶滅しなかった。ほんの少しの爬虫類は生き残ったが、それは哺乳類を食いつづけた恐竜とは比較にならなかった。
また鳥と違って、哺乳類は、2億3千万年前から6500万年前までの天文学的年月を恐竜の餌であるネズミとして過ごしたが、単なる餌には一切の進化が許されなかった。
このため、餌である環境が理由で、進化をしたことがない原始的なネズミは、DNA的に今後のDNAの変化が発生する余地を100%残していたと言える。
一旦進化を極めると、その後は、環境に合わせたDNA変化を起こすことが出来ない。恐竜は絶滅前にすでに進化を極めていたのだ。進化を極めることは特殊化と言う。
特殊化を済ませた恐竜はもはや急激な環境変化には耐えられず、完全に絶滅した。哺乳類はそのため、単なる恐竜の餌でしかなかった原始的な生き物だったのに、捕食者が居ない地球に暮らすことになってしまった。
6500万年前に突然恐竜がこの地球上から消えると、
2億3千万年前から6500万年前までの天文学的年月の間ネズミから一歩も進化しなかった哺乳類は、6500万年前から現在までの6500万年間に、突然、ネズミから今の人間にまで進化を遂げた。
恐竜に食われなくなったから、進化しただけだった。
地球上は哺乳類と有袋類の天国となった。
例えばワニは、恐竜時代から小型化してしまったものの、現在まで生き残った。
まー、恐竜は数十センチの恐竜類から巨大恐竜まで今のワニのようなノリで動き回っては肉を食っていたと考えられる。こりゃ食い尽くすねー、哺乳類を。
オーストラリア大陸付近では、さらに哺乳類の中で、有袋類と哺乳類が生存競争をしたが、幼児をより保護するシステムを持つ有袋類が、哺乳類に全面勝利した。しかし、オーストラリアエリア以外に有袋類はいなかった。
大陸の配置はどうかと言えば、
恐竜が絶滅し、哺乳類は小さいネズミのみだった6500万年前は既に大陸は今の配置へ近づくため、分割されていた。
だから恐竜時代にはとっくにアフリカ大陸が出来ていたのだが、
6500万年前までの恐竜時代に、
1億5千万年以上全く進化できなかった小さいネズミは、
その6500万年前から数百万年前までの間に、
大型哺乳類へと進化し、恐竜の存在しない哺乳類天国の地球を形成していた。
800万年前にはまだ人類は東アフリカエリアに生息する単なるサルだった。
その、東アフリカだけで、人間は、
その後の800万年を掛けてサルから人へと進化してきたわけだが、ヒトらしく進化したヒト科も、多岐に分伎した。その間には淘汰されたヒト科が多く、今となってはヒト科は現人類1種類だけが生き残る。
ネアンデルタール人というのが最後のヒト科みたいなもんで、ヨーロッパエリアでついぞ最近4万年前から3万年前まで、ヨーロッパ民族の人間と同居していたらしいが、このヒト科は消えてしまい、今は存在しない。現在のヨーロッパ民族とネアンデルタール人の混血の例もわずかにあるが、もしかすると抗争していたのかもしれない。
北京原人、ジャワ原人なども、人間よりも早い時期に東アフリカのヒト科サルの森からアジア等に移動したが、アジアで絶滅した。
で、今の人類だが、、
7万年前は、東アフリカにしか人類はおらず、
白人黒人黄色人種の別は無かった。
全員茶褐色の肌、ダークカラーの眼と毛色だった。
ちなみにわずか1万年前まで氷河期だから、
当時は当然ず〜っと氷河期だったりするわけで、
だからこそ温暖な東アフリカが人間の発祥地だったのだが、
7万年前ごろから、この温暖な地を人間は捨てた。
家族単位、一族単位、村単位で、
パラパラとアフリカから中東へと旅を始めた。
これが白色人種と黄色人種の元になる人達だ。
アフリカに残った部族もいた。これが黒色人種の元になる人達。
氷河期の当時の中東は今のような灼熱の地ではなかった。
氷河期だから相当寒冷なエリアだった。要は温暖な東アフリカを捨てて、雪の世界へと人類は食い物を探しに移動した。
白人と黄色人種の元の部族が最初に東アフリカを出発して雪の大地へと移動したのは、7万年前なんだけど、
なんとその後6万年間はおおざっぱに言えば氷河期だった。
白色人種と黄色人種は、食い物を探して、氷河期の極寒の雪の地域を6万年の間の内の長い間放浪してきたので、アフリカにいた頃よりも白く、現在の黒色人種よりも肌が白くなったと。
現在の西暦は2009年前後。
結論、たった7万年間で人種の別が出来るぐらい実際にDNAが進化・変化する。
2000年間を1クールとすると、7万年間は35クール。
キリスト誕生から2000年までの歴史の時間の長さを35回以内程度繰り返す時間の間において、
人間の肌の色と、眼の色と、髪の色と、平均身長のDNAは、環境に合わせて変化したのが結論だ。
このため、
現在の白人、黒人、黄色人種、のDNA別が出来た。
金髪の民族は、生まれた時すでに金髪で青い眼、黄色人種は生まれた時も髪が黒く、瞳も黒い。黒色人種は生まれた時から肌が黒い。
7万年前東アフリカでは、全員が褐色の肌、ダークカラーの髪と瞳の遺伝子を持っていたのだ。
そのDNAが7万年以内の時間を掛けて変化して、
現在では人種間でDNAが異なるのだ。
ちなみに金髪の民族のヒトには、よく生まれた時はきれいな金髪なんだけど、大人になるに従って毛の色がどんどん黒味を増すヒトがいるようで、これも興味深い。
頭の頭髪だけが金色で、その他の毛髪はダークカラーと言うヒトも多い。
そもそも7万年前。
なんで暖かく住み心地の良い東アフリカを出て極寒の地へと、人類が旅立ったかというと、当時は狩猟のみが食料だったからだろうと思う。
要するに、米も小麦も栽培してなかった。
大豆も豆も。
要は肉や魚や貝を食ってた訳。
農耕が始ったのはつい最近(農耕 - Wikipedia)だ。
日本でもなんと、
縄文時代まで狩猟時代で、弥生時代になってようやく農耕を始めたから食料が安定して人口が爆発的に増大して、国力も豊かになったんでしょ?
7万年間の内のほとんど1万年間前までの6万年間は氷河期だった。その間すらも、人類は狩猟によって生きてきた訳だから。
温暖な東アフリカからアフガニスタンあたりの雪の大地を目指して、家族や部族全員で旅を始めたのは、農耕をするためではないだろう。
だから、
要するに獲物を追ってどんどん寒いところへ移動していったというわけ。北の動物は大型化する傾向がある。大きな獲物は干して保存食に出来るから、家族を養う食料が安定する。
そもそも
類人猿の世界の中で、ヒト科もいろいろ種類がいたが、我々の祖先の進化は、サルにしてはやや珍し目のパターンだった。肉食化をして、高栄養を得たため、脳が肥大進化した。
つまり、肉が好きで、肉を食ってた。そういうことになる。
つまり、800万年前東アフリカのサルだった人類は、肉食によって800万年間かけて、脳が肥大化・脳の巨大化を果たした。脳の大きさが進化した。要するに、手でも足でも皮膚でもなく、角が生えるわけでもなく、ヒレが生えるわけでもなく、東アフリカのサルは脳だけが大きくなった。
DNAが変わったのは、脳の巨大化の部分でDNAが進化したわけさ。
細かいことを言えば2足歩行化も関係しているけど。
結論は肉食→脳の巨大化という、体の脳部分のDNA変化だ。
つまり脳が大きくなるという進化を果たす運命(体質)だったサルは、最低800万年の時間を掛ければ、脳が巨大に進化する、ということの歴史的実証だ。
ワニやライオンに肉を食わせて800万年過ごさせれば、人間のように脳が巨大化するという、脳部分のDNA変化が起きただろうか?
結論は、そのような変化は起きなかった。
ここでポイントとなるのは、なんと恐竜と哺乳類の関係だ。
1億5千万年間、単なる恐竜の餌だった哺乳類は、恐竜が千差万別に進化して、地上を埋め尽くす中、原始的なネズミのまま、1億5千万年を過ごした。夜行性の原始的なネズミとして隠れてゴキブリのように絶滅をまぬがれていただけだった。
つまり、一切のDNAの変化を行わなかったネズミ型の原始的動物なのだ。ところが6500万年前に突然恐竜が火事と雪に耐えかねて絶滅すると、その後数千万年を掛けて、DNAの進化を果たさなかったネズミは、トラになり、ゾウになり、キリンになり、マンモスになり、サルになった。
1億5千万年間DNAの進化が無かった哺乳類は、その後6500万年でぼろぼろにDNAを変化させてきた。
進化には分化の枝分かれがある。これがどの枝なのか?
その枝によって、DNAが変化しやすい部位が異なる結果になったのではないだろうか。
体のどこの部位が特殊化のDNA変化をしやすいのか?、
という部分だ。
一旦DNAが進化して、その存在が特殊化すると、もう元には戻れない。
ネズミから特殊化を果たした人間が、今後、サルへ戻り、ネズミに戻ることは無い。
人間は特殊化が進んだ種族だから、あとは絶滅するか、生き残るか、の二者択一しかない。
これが、DNAの環境対応を目的とする特殊化、というDNA変化だ。
例えば、哺乳類全盛時代のヨーロッパには、肉食のダチョウサイズの巨大な飛べない鳥がいたが、これは恐竜のように走っては哺乳類を狩り、狩っては食っていた肉食。
恐竜と鳥はDNAが非常に近い。恐竜後期には全身毛が生えた恐竜もいたし、羽毛が生えた恐竜もいた。卵を温めてかえす恐竜もいた。
そして、恐竜時代にも、既に今の鳥はいた。鳥もトカゲ同様、恐竜類似の生き物だ。
ちなみにワニは、恐竜時代後期に既にいた。全長15mで今と同じ姿のワニだ。
哺乳類全盛時代にいた、陸上で生きる肉食の巨大な鳥。もしこの鳥が進化して、DNA変化を起こして、かつての恐竜そのものの姿を取り戻せば、恐竜時代と同じように、哺乳類を絶滅まで食い尽くして隆盛を極めたはずだ。
でもそうはならなかった。
恐竜から鳥へと、DNAの特殊化という変化をいったん果たした鳥は、もう元には戻れない。恐竜へは帰れないのだ。絶滅するか生き残るかしか、DNAの変化は無い。
つまり、DNAは環境に合わせて強豪化するために、少しづつ変化する。
しかし元には戻れない。
ただ、単一のネズミから、多岐に渡る大型動物が発生するまでの、枝分かれの中で、枝、枝、によって、体のどの部位のDNAの変化を起こしやすいのか?、という傾向が、枝によって異なるということだ。
人間の場合は、それが脳だった。
もっとも脳が発達したのは肉食と二足歩行化によるとも言われるが。
ここでは、サル類の一部が脳のDNA特殊化変化を発生しやすい傾向を持っていたという結論だけで十分だ。
4.結論への決め手は、こうだ。
6500万年前、DNA変化をしなかった原始的なネズミは、数千万年掛けて、DNAを変化させ、800万年前には、人類の祖先のサルが、東アフリカの森に住んでいた。
7万年前には、今のヒトになって、同じく東アフリカの森に住んでいた。
この800万年前から7万年前までの797万年の間に、二足歩行をし、巨大な脳を持つという、DNAの変化を起こしていた。
そして、7万年前から少なくとも3000年前までの、6万7千年の間には、各地にばらばらに広がって、違う温度環境に住むことによって、
肌の色、眼の色、毛の色、平均身長、などのDNA変化を起こしていた。
つまり、過去800万年の間に、人間は、二足歩行、脳の巨大化、肌の色、眼の色、毛の色、平均身長、について、DNA変化を発生させた。
ずばりこれが結論を導くための、決め手だ。
人間という枝は、二足歩行、脳の巨大化、肌の色、眼の色、毛の色、平均身長、についてDNAの変化を起こしやすい性質を持つ。
ということが決め手だ。
なんで人種の肌や髪の色の違いができたか?、逆に順路に遡って検証したという流れになる。
地球人の歴史 1.人類の起源
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人類の進化(KenYao'S HOME)
ミトコンドリア・イブ - Wikipedia
Y染色体アダム - Wikipedia
中立進化説 - Wikipedia
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